史上最強のチョコレート | |
女王試験も中盤に差し掛かったある日、ロザリアはひとりぼんやりと自室の書物を読みふけっていた。 女王候補たる者、闇雲に大陸の育成だけしていれば良いというものではないというのが彼女の持論であり、教養の一環として今日は読書の日と決め込んでいたのである。 「……あら」 ふと目にとまった文献の中の一説。 「あら、まあまあ」 思わず真剣に顔を近付け、そのページを凝視してしまう。 「バレンタイン……。こんな習慣もあるのね……」 教養の一環と称して何の本を読んでいたのかは甚だ疑問の残るところであるが、とにかくロザリアは、その文章を一通り読破する。 「心を込めたチョコレートを贈るなんて、素敵な習わしだわ……そうね……」 自分の顔が笑っている事に、彼女は気付かない。 「そうよ。このバレンタインにちなんで手作りのお菓子なんてプレゼントしたら、きっと喜んでいただけるに違いないわ!」 あわよくば、他の惑星の事にまで気を配る素晴らしい女王候補、さすが才女だと周りを感嘆させられるかもしれない。 「これで、女らしさのアピールもバッチリではないかしら!?」 ひとりきりの部屋で大きな独り言を放ちつつ、ガタンと立ち上がるロザリア。 彼女にも、お目当ての殿方はいる。 炎の守護聖オスカーだ。 女王の座と天秤に掛ける事など、どちらに対しても恐れ多くてできないが、もしも、万がいち女王になる前に彼に愛の告白でもされてしまったら女王の座さえも捨ててしまうかもしれないと、そのくらいには想いも膨れ上がっている。 オスカーがロザリアよりももうひとりの女王候補アンジェリークと仲良くなるかもしれないとか、アンジェの方が女王になるかもしれないなどという事は、端からロザリアの頭の中にはない。 彼女の辞書の中には、思い込みという言葉はあっても敗北という言葉はないのだ。 「そうと決まれば、即実行だわ!」 瞳をぎらつかせたロザリアは、華麗に手際良く、レースとフリルをふんだんにあしらったエプロンを身に着けた。 まずはちょっとしたお菓子を持って、オスカー様に御機嫌伺い。 そしてさりげなく彼の好みを聞き出し、来たる聖なる日に備えるのよ! 「当日には、オスカー様との甘美な時間が……」 うっかり思っている事を口に出している事にも気付かないまま、ロザリアは普段から部屋に常備してある最高級の食材を駆使して焼き菓子を作りはじめる。 可愛らしく包んだお菓子を持ってオスカーの執務室を訪ねたロザリアは、あたりを漂う香ばしい香りに気付いて首を傾げた。 自分の持っている菓子のモノではない。 「あの、オスカー様……?」 オスカーに招き入れられて室内に入ってみれば、その香りはどうやら彼の机の上に置いてある物から発せられているようで。 怪訝そうなロザリアの表情に気付いたらしいオスカーが、机を指差して笑った。 「お嬢ちゃんはあれが気になるか? ちょうどさっき、リュミエールが焼き菓子を置いていってな。ご苦労な事に、宮殿中に配り歩いているようだぞ」 「リ、リュミエール様の……?」 いやな予感がしたロザリアだったが、オスカーが開いたその包みの中身を見て思わず目眩を覚えた。うっかりその場に倒れそうになるのを、かろうじて持ちこたえる。 それは、あまりにも美しい、プロも顔負けかと思われるほどの繊細な細工の施された、口に入れれば蕩けんばかりの美味であろう事がひと目で判る焼き菓子だったのだ。 まるで追い打ちをかけるかのように、チョコレートまであしらってある。 「よほど暇なのか、リュミエールは頻繁にこんな物を作っては配り歩いているようだぞ」 これを、頻繁に! 「ちょうど良い、お嬢ちゃんも食べてみるか? 味は確かだぞ」 そんな事は、見れば判る……。 「まあ……私などが戴いてよろしいのかしら……」 引きつる艶やかな笑顔と、鈴の音の如くに震える語尾に、オスカーは気付かない。 「お、お嬢ちゃんも何か持っているようだな。それは何なんだ?」 「――!! ……こッ……!」 これは……! とてももう、見せられない……。 「こ、これはッ! そのッ! ア、アンジェリークがどなたかに差し上げようとしていたお菓子ですわ!」 「アンジェリークが?」 「あ、あの子ったらうっかり失敗してしまったらしくて、守護聖様にこんな物は差し上げられないからと、今そこで受け取ってしまいましたの! ま、まったくあの子、私を何だと思っているのかしら……!」 仲が良いんだな、とオスカーは笑う。 ――ああ、私はオスカー様に嘘をついてしまった……。 アンジェリークまで引き合いに出して……。でも、将来の女王のためにその名を語られるのですもの、光栄に思っていて良くてよ。 あくまでも北極点な事を考えながら、ロザリアはさりげなく菓子の包みをオスカーの視界から隠した。 勢いで大陸の育成を依頼してしまった後、今度はお嬢ちゃんの手作りの菓子が食いたいだなどと言われて乾いた笑顔で生返事をし、よろよろとその場を辞したロザリア。 ぜひにと勧められて口にしたリュミエールの菓子は、予想した通り、いや、それ以上に美味だった。 「あれには……勝てないわ……」 ロザリアとて、人並みには菓子作りをこなす。 いや、そこいらの少女と比べるなら、人並み以上と言っても過言ではないだろう。 しかし哀しいかな、ロザリアは天下無敵のお嬢様なのだ。何でも使用人任せで暮らしてきた彼女の料理の腕前は、趣味の域を越えるものにはなり得ない。そして、平凡な少女特有の素朴な家庭の味も、彼女には出す事ができないのだ。 ロザリアは、自分の中途半端さを呪った。 この場合むしろリュミエールの方が異常なのだが、菓子作りで、しかも守護聖である男性に負けたショックでそこまで考えが及ばない。 「……」 やるわよ。 「やってみせるわ、あれ以上に素敵に美味しいお菓子を作れれば文句はないのでしょう!?」 誰に向かって言っているのかは謎だが、辺りに人影はないので突っ込む人間もいない。 「私は宇宙を統べる女王候補、由緒正しきカタルヘナ家のロザリアよ!!」 しつこいようだが、彼女の辞書には敗北という文字はない。 多分、屈服という文字も。 「バレンタインまでに、絶対にオスカー様に最高のチョコレートをプレゼントして差し上げるのよ、ロザリア!!!」 自身に一喝入れると、ロザリアは恐ろしいほどのスピードで寮に戻り、それからは延々とバレンタインのための菓子作りに没頭するのだった。 「ごきげんよう、ロザリア」 そして、会いたくない時に限って会いたくない人は訪問するものである。 「リ、リュミエール様……」 薄力粉で真っ白になったエプロンと三角巾という、とてもスマートでない姿を晒してしまったロザリアは、呆然と水の守護聖を出迎えた。 「近くを通りかかりましたら、何か奇声が聞こえたものですから……しかし、これは……」 リキんだ拍子に、辺り一面に粉を撒き散らしてしまった凄惨な光景の中で、リュミエールは例の本のバレンタインの文章に目を留める。 「こッ、これは……そのッ」 「はあ……なかなか興味深い文献ですね。ロザリアはどなたかに、バレンタインのプレゼントを差し上げたいのですね?」 ロザリアの姿も室内の無残な有り様も気にならない様子で、リュミエールはにっこりと微笑む。 嫌味のつもりかァッ! とどつきたくなるのを理性で押さえながら、ロザリアは引きつった笑いをその顔に張り付かせた。 「私の腕前などまだまだで……とても守護聖様に差し上げられるお菓子など作れませんわ」 ロザリアのこめかみに浮かぶ怒りの四つ角を認識しているのかいないのか、リュミエールは更に艶やかに微笑むと、調理台の上に置かれた失敗作とも言える試作品を手にした。 「しかし、手作りのお菓子というものは、心がこもってさえいれば味や見た目は二の次だと思うのですよ」 かっちーん。 それはなにか。味や見た目は二の次といえば聞こえは良いが、つまりは味や見た目が完全に低評価だと言いたい訳か。 そうでしょうとも。 けど、それを言うか? 本人を目の前にして? ロザリアは、ひっそり静かにキレた。 「私とて女王候補。そしてそれ以上にひとりの女性。きっと、殿方のハートを鷲掴みにするような、気品溢れる魅力的な、それでいて絶妙に美味なお菓子を作ってご覧に入れますわ……!」 すでに言っている事が尋常でない事はさて置き、ライバル意識むき出しでリュミエールを睨み付けるロザリアを、彼はさらりと交わすかのように胸の前で手を合わせた。 「がんばって下さいね」 サンドバッグに浮かんで消えてしまうような、憎いあんチクショウの顔にそうするがの如く、ロザリアはひとかたまりの生地をビタンビタンと調理台に叩き付ける。 「あれは絶対に分かっててやっているのだわ! 私よりも菓子作りの腕がいいからといって、それが何だというの!? 少しも自慢にならなくてよ!!」 いや、自慢にはなるかもしれないが。 そんな事はこの際どうでも良い。とにかく、彼よりも上等な菓子が作れればそれで良いのだ。 そうこうしてショコラをあしらった菓子パンを作り上げたロザリアは、以前よりは自信作となったそれを引っさげて再びオスカーのもとへと向かう。 しかしそこで目にしたのは、またもや洒落た菓子を手にしたリュミエールの姿だった。 「………………」 「おや、お嬢ちゃんはいつも良いタイミングで来るな。今日はリュミエールがチョコクッキーを作ったんだそうだ。一緒にどうだ?」 何も知らないオスカーの笑顔と、すべての悟りを開いた菩薩のようなリュミエールの笑顔。 「……急用を思い出しましたの。失礼しますわッ!!」 青筋と共に踵を返すロザリア。 「何なの、あの人……! まるで私とオスカー様の間を邪魔するようにッ……」 ……。 邪魔するように。 「邪魔……しているのかしら」 まさか、そんな。 「リュミエール様……まさか……」 オスカー様の事……?? 馬鹿な。考え過ぎではないだろうか。 しかし、邪魔をされているのは確実なような気がする……。 「そんなまさか、リュミエール様が……」 ライバルだなんて。 冗談きつくて笑えやしない。 「私が、どうかなさいましたか?」 「キャアアアッ」 突然背後から掛けられた声に、仰天して振り返る。 そこに佇んでいるリュミエールは、相変わらずにこにこと罪のなさそうな笑顔でロザリアを見つめていた。 「おや、今日も何かをお持ちのようですね。新しいお菓子でも作られたのですか?」 「これは……!」 咄嗟に手に持ったそれを隠そうとして、ロザリアはうっかり取り落としてしまった。 「ああ……!」 無残にも地面に転がるショコラブレッド。 「ああ、勿体無い事をしてしまいましたね」 事もなげに、それを拾い上げるリュミエール。 「あああ……」 「これは……以前よりも、ずっと上手に作られるようになったのですね……ただ、もう少々チョコレートの湯煎の方法を工夫された方が……」 よ・け・い・な、お世話――ッ!!! ぐらぐらと煮え立つ頭が爆発しないように、遠くなりそうな気をかろうじて保ちながら、ロザリアは目の前で菓子作りの講釈をたれる水の守護聖を張り倒さないようにする事だけに、ひたすら意識を集中していた。 それからというもの。 何度菓子を作ってもオスカーのガードの固いリュミエールにはばまれ、あまつさえ注釈まで付けられて、ロザリアは心の煮え立つ日々をひたすらに送っていた。 腹の立つ事に、リュミエールの言う通りにすれば菓子作りのすべてはうまく行くのだ。こんな方法があったのかと思い知らされる事も少なくない。 しかも、リュミエールがまるで見本のように作ってみせる菓子は、全て更に上を行っている。 憎たらしい。 腹が立つ。 腹が立つ……ッ!! しかし、そこは気高きお嬢様。 それを存分に利用してやれば良いのだと、最近気がついた。 技の出所などどうでも良いのだ。 リュミエールが次から次へと自慢げに見せてくれる技術の全てを、一つ残らず吸収してしまえば良い。 天下のロザリア様にできない事はない。自ら掘った墓穴で、ギャフンと言わせてみせるわ、リュミエール様……!! リュミエールの言葉の全てを頭に叩き込んで。 つまんでは注釈を付けるリュミエールの反応を見る。 研究に研究を重ねて、宇宙で一番美味しいチョコレートを作れば良い……! そうして菓子を作り続ける日々が続き。 目に見えて、ロザリアの作る菓子のレベルは上がっていった。 時々驚いたように目を見開くリュミエールの表情を目にすると、胸のすくような想いになる。 そんな時は、してやったりと心の中でガッツポーズ。 「もう一息……!!」 開き直りの成果か、大分心に余裕のできたロザリアは、今日も上機嫌でボウルの中身をかき回す。 ブロック状の生チョコにビターなコーティングをして、モカチョコで美しい飾り模様なども入れてみる。いくつかには、ホワイトチョコも使ってみたりして。ハートの形なんてのも、良いかもしれない。 「我ながら、なんて上品で美味しそうなチョコレート……!」 半ば恍惚とした表情を浮かべ、自作のチョコレートに熱い視線を注ぐロザリア。 「これなら、リュミエール様にも文句は言わせないわ……!」 自身満々に、そのチョコレートを藤の籠に詰め込む。 これに比べたら、今までのお菓子は果たしてお菓子と呼べるものだったのかと、極端な事も思えるようになるから不思議だ。 ロザリアは勝ち誇った笑顔で籠を手に持ち、華麗なステップを踏みつつ部屋を飛び出すと、何かの使命感に燃え立つように全速力でリュミエールの執務室へと走った。 「さあ、リュミエール様!!」 ドン! と、チョコレートの藤籠をリュミエールの目の前に突き出すロザリア。 ――何か言えるものなら、言ってご覧なさい!! 「これは、これは……」 ロザリアを笑顔で迎えたリュミエールは、差し出されたチョコレートをひとつつまむと、極上の笑顔で立ち上がった。 「とても素晴らしいチョコレートですね。非の打ち所がありません」 ――そうでしょうとも!!! あなたのその笑顔を見るために、私は身を粉にして働いたのよ!(ちょっとちがう) 「ロザリア、私は、とても嬉しいです。今日は、あの文献にあるバレンタインデーですね。その日に、このようなチョコレートを戴く事ができるとは……」 「…………は?」 「とても素敵な、贈り物ですよ」 え? ……ちょっと。 今日が、何ですって? ロザリアは考えた。 今日、今日は……。 バレンタインデー……。 「ええええええ!?」 そんな馬鹿な。 今日は、今日は……あああ、バレンタインデー!! 「そんなああ!!!」 なんてこと。 今日が、運命の日バレンタインデーだなんて。 今日この日のために、頑張ってきたというのに。 この数日間、お目当ての筈のオスカーの事など、キレイに思考の外に飛んでいた。ただリュミエールに食べさせるために、今日のこのチョコレートでさえ……。 なんて……こと……。 ロザリアは、その場にがっくりと膝をついた。 今まで、自分は何のために血の滲むような努力をしてきたと言うのか。意中の人に真心のこもった贈り物をするためではないのか。ひいては、最高の女王になるために……。 しかし、その意中の人でさえ、キレイさっぱりと忘れ去っていただなんて。毎日毎日、この憎たらしい顔ばかりを思い浮かべて……。 こんな事って、あり……? ロザリアは、ぶるぶると震える両腕に力を込めた。目の前に膝まづくリュミエールをもの凄い形相で見上げ、引きつった唇の端をつりあげる。 「この責任……とって頂けるんでしょうね……」 「責任……ですか」 歪みきった笑顔のロザリアとは対照的に、リュミエールは見る者が蕩けそうな笑顔で首を傾げる。 そしてロザリアの手を取り、優しく包み込むように囁いた。 「それでは、森の湖にでも出掛けましょうか」 ――そうして成就の音楽は、ふたりの頭上に降り注ぐ。 ハメられた……。 最初からリュミエールの手の上で踊らされていたのだとロザリアが気付いたのは、彼女が菓子作りに奮闘している間にせっせと大陸を育成して女王になったアンジェリークの補佐を努めるようになり、かの水の守護聖とおしどり夫婦だと囁かれるようになって暫く経った頃の事だった――。 END ☆いや〜、今見ると、結構分かり辛いですな。ちょっと意地の悪いリュミxロザです。 |