小さな森の禁断の果実 2 |
リュミエールは、のんびりと語り出した。 「何って……今日は気分が良かったので少々散歩でもしようかと外に出て……」 そこまでの行動パターンは、オスカーと一緒だ。 「たまにはちょっと遠出をしてみようかと、歩いているうちにここまでたどり着いて……喉が渇いてしまって、はじめて何の用意もして来なかったのに気付いて……」 らしいと言えば、らしい。 「ちょうどそこに木の実があったのでそれをいただいて……それから……?」 悩むように首を傾げる。 そのあたりからが曖昧らしい。 という事は、リュミエールが食べたという木の実が怪しいのではないか。 リュミエールの視線を辿ってオスカーが振り返ると、確かにそこにはいかにも甘くて美味でありそうな赤い果実が、たわわに実っている木があった。 「おまえまさか、正体のわからない果物を口に入れたのか?」 オスカーの呆れたような声に、リュミエールは微かに首を傾げる。 「小鳥がついばんでいたので、多分大丈夫だと……」 鳥は、粟や稗だって食べるんだぞ……。 それだって人間が食べられない訳ではないが、それはともかくとして。 リュミエールのあまりの無防備さ加減に、思わず頭を抱えるオスカー。 「やっぱり、その果物だな……」 確信を得て呟くと、オスカーは立ち上がり、リュミエールの腕を取った。 「オスカー?」 「帰るんだ、リュミエール。ルヴァ様にでも、診てもらった方がいい」 「私は、何ともありませんよ……?」 病人や、泥酔した人間が言うそのままの台詞を口にするリュミエール。 何を言っても無駄だと判断し、オスカーは無理矢理にリュミエールを立たせた。思った通り、彼の脚は頼りなく揺らぐ。 歩けそうにもないかと思ったが、女性のように横抱きにするのはちょっと無理があるし、できればそれは避けたい。かといって肩に担ぎ上げるのもどうかと思う。 第一、どちらにせよリュミエールが嫌がって思い通りにはさせてくれないだろう。それに、同僚を肩に担いだ守護聖など、誰かに見られでもしたら笑いの種にしかなり得ないであろうし。 仕方なくオスカーは、リュミエールの片腕を自分の肩に回し、支えて歩き出した。すでにリュミエールはとろんとした目つきで今にも眠ってしまいそうである。 「日向の、草のにおいがします……」 何故か嬉しそうにそれだけ言うと、リュミエールはオスカーの身体に頬をすり寄せた。 ――ばっくん。 オスカーの心臓の音である。 焦るなオスカー、今のリュミエールは正気じゃないんだ。泥酔状態なんだ、それだけだ!! そもそも、こんな事で慌てる必要なんて、これっぽっちもないじゃないか……!! しかし、嫌でも頬を染めたリュミエールの顔が、視界に入ってしまう。正面を見て歩けば良いだけの話なのだが、オスカーは、そこから視線が外せなかった。 綺麗だ、と思う。 同じ男である事が信じられないくらいに。 今はじめて気付いた訳ではないが、こんな状態だからこそ、あらためて気付く事もある。 ――これで女だったら、間違いなく……。 一瞬そんな事を考えて、オスカーはぶるぶると首を振る。 何を考えてるんだ!! よりにもよって、リュミエールに惑わされてどうする!! 思わず心の中で自分を叱咤するが、正直、今まで会ったどんな女性よりも、今のリュミエールは美しく、愛らしかった。 リュミエールの口から、おかしな事を聞いてしまったからかもしれない。 しかし、今のリュミエールは正気ではないのだから。 まるでリュミエールの酔いが移ってしまったかのような自分の思考を無理矢理に閉ざし、オスカーは宮殿まで、黙々と歩き続けた。 「この果物は……また随分遠出したものですねえ」 リュミエールを寝かしつけると、オスカーはルヴァの執務室へと直行した。 一応持ちかえった果物をルヴァに見せると、彼は一目でそれが何かわかったらしく、目を丸くした。 「何なんですか」 「まだオスカー達には教えていませんでしたねえ。えー、これは〜、いわゆる、禁断の果実、と言われているものですねえ」 「禁断の果実……」 なにげに、ヤバそうな名前である。 やはり、人が口に入れてはいけない物だったのであろうか。 先刻は冗談で考えたが、よもや、本当に変なものを食べておかしくなったのだとは。 「まあ〜、心配はないですよ。一眠りもすれば、普通に戻るはずですから〜」 それなら良いがと、オスカーは安堵してから、ふと疑問に思った。ちょっと酔ったような状態になって、すぐ元に戻るのであれば『禁断の果実』などという通称を付けなくても良いのではなかろうか。 「はぁ……酔う、ですか? ん〜、おかしいですねえ、これは、食べて酔ってしまうようなものではないんですが……」 「え……?」 思わず聞き返してしまうオスカーに、ルヴァはその果物の事実を語った。 「これは、本来『真実の実』と言われるものでしてねえ、これを食べると、普段隠している、本音であるとか、秘密なんかが表に出てしまうんですよ〜」 「……は?」 「普段、おくびにも出さないような事を洗いざらいぶちまけてしまったりしますから〜、そのせいで禁断、なんて言われているんですよー。誰だって、秘密にしておきたい事のひとつやふたつはありますからねえ」 なんだって……!? オスカーは、ルヴァの言った事を頭の中で反芻した。 という事は、だ。 その真実の実とやらを食べてあんな状態になったリュミエールは、心の中でいつも酔っ払っていたという事だろうか。 それは何か……変だ。 違う。 リュミエールの言葉のひとつひとつを思い出す。 あれは、酔って絡んだ上での言葉ではなく、リュミエールの本心だったという事になる。 つまり。 リュミエールは、心の中では、オスカーに対していつも酩酊状態にあった、という事だ。 それを、普段はひた隠しにしていた――? それが、あの実によってすべて暴露されてしまったのだ。 もっとも、リュミエール自身にさえ自覚があったかどうかは謎だが。 「なんてこった……」 呟くと、オスカーはくるりと踵を返した。 「あー、オスカー?」 「あ、ありがとうございました!」 それだけ言って、ルヴァの執務室から飛び出す。 宮殿を出ると、オスカーは一時でも早くその場から離れるように、全速力で敷地を駆け抜けた。 リュミエールの様子を見てから、などという事は、頭から吹っ飛んでいた。 どんな顔をして彼に会えば良いのかわからない。 リュミエールの真実というのは、今のオスカーには刺激が強すぎた。 彼の事を変に意識しはじめた矢先なのだ。 オスカーはその足で私邸に駆け込み、頭と顔が冷えるのを促すかのように、日が暮れるまで、稽古場で猛然と剣を振り回した。 翌日。 まるで意地悪な神が示し合わせたように、オスカーとリュミエールは宮殿の廊下でばったり出くわしてしまった。 「あ……」 二人同時に声が出てしまう。 「よ、よう」 それだけ言って、らしくもなく皮肉のひとつも言わずにその場をすり抜けようとしたオスカーを、これもまた珍しくリュミエールが呼び止めた。 「あ、あの……お待ち下さい、オスカー」 うっかり口から出そうになる心臓を押さえるかのように、オスカーはぎこちなく振り返る。 「昨日は……大変ご迷惑をおかけしてしまって……。ルヴァ様から詳しい事をうかがいました。本当に、申し訳ありません……」 深々と頭を下げるリュミエール。 一日経って忘れていてくれれば、と思っていたが、そうはうまく行かないらしい。リュミエールの態度から察するに、すべて憶えているのだろう。 今日は酔っている訳でもないのに、その頬は真赤に染まっている。 かわいい。 今度こそ、心底オスカーは思ってしまった。 だめだ。いよいよ、お手上げだ……。 昨夜、いやという程剣を振り回し、自分的には精神統一したはずのオスカーが導き出した答えは『リュミエールの本音が嬉しい』という、紛れもない『自分の本音』だった。 ――降参するしかあるまい。 素直に、そう思った。 どうせ否定したところで、事実は変わらないのだ。それなら、前向きに考えていた方が、幾分か得なような気がする。 「別に、迷惑だとは思わないぜ。今度は、本当におまえを酔わせたら面白いかとは思ったがな」 いつものようににやりと笑って、オスカーは余裕の態度を見せる。 立ち直りだけは、異様に早い男だ。 「オ、オスカー!」 更に赤くなるリュミエールを、ふと真面目な表情になってオスカーは見つめる。なるほど、歩み寄ってみるものだ。 こんな遠回りなどせずに。 「本当に、今度付き合ってくれ。隣で見てるだけでもいいさ」 つと瞳を細めるオスカーの表情の変化に、リュミエールはうっかり見とれたらしい。 「は、はあ、見ているだけなら……」 すでに自分が何を言っているのかわかっていない。 昨日の状態と、少し似ている。なるほど、やはり『真実の実』という訳だ。今までまったく気付く事のなかった『本当のリュミエール』は、こんなに近くにいた。 しかし、こんな形で本心を暴露してしまったのは、リュミエールとしては不本意極まりないだろう、と思う。 だが予想に反して、リュミエールは言った。 「昨日の事は……ご迷惑をおかけしましたが、否定はいたしません。『真実の実』を食しての事ですから……言い訳をして嘘つきにはなりたくありませんし……」 小さな声で、しかし、伝えたい事をしっかりと口にする。 恥ずかしさよりも、心の開放を選んだのだろう。 そんなリュミエールに、オスカーは初めて心からの微笑を送った。 ――これまで数々の女性を虜にしてきたそれよりも、更に上等な、色男の微笑み。 「迷惑なんかじゃないと言っただろう。俺には、最高の口説き文句に聞こえたぜ」 「オスカー!!」 困った表情もいい。 そんな風に考えてしまう自分に、オスカーは心の中でため息をついた。 ゆっくりでいい。 この先、リュミエールに対するこの想いが、どんな形にまで変化して行ってしまうのか、考えるのは少々怖くもあったが、妙に愉快でもあった。 時間をかけて、その変化を楽しめばいい。 どんな形に変わろうとも、その時の自分は、きっとそれを受けとめるのだろう。 「あの……お酒ではないのですが、良い紅茶をオリヴィエに戴いたのです……。よろしければ、御一緒に、いかがですか……?」 真赤になりながらも、懸命に提案をするリュミエール。つい先日までの不仲が嘘のようだ。 そんな彼の背中を、オスカーはポンと叩いて促した。 「お言葉に甘えるとしようか」 オスカーの言葉に、リュミエールは花のように破顔して、オスカーと連れ添い歩き出した。 リュミエールの隣を歩きながら、ふとオスカーは『真実の実』の事を思う。 あの実の存在を、誰かに教えてやったら面白いだろうか。 ――いや、秘密にしておいた方が、楽しいに違いない。 不謹慎な事を考えながら、オスカーは、しかし自分だけは、今後絶対にあの森に近付かないようにしようと、心の中でかたく誓っていた。 END ☆仕事しなさいよ、あんた達……(笑)。 |