UP20030525
緒方家騒動記 ― 3: 光と影
今日は、とても珍しい日。 何が珍しいのかといえば、今日の緒方家には緒方とアキラの二人しかいないのだ。 むしろ緒方本人がいなくても他の人間が複数いる事の多いこの家では、珍しい現象だ。 「緒方さん、どうぞ」 いつも誰かしらのいる、つまり寄り合い所的な意味合いを持つ日当たりのよい和室でぼんやりとしている緒方に、アキラの声がかかる。 振り向いた視線の先に湯飲みが置かれた。 「ああ、すまないな」 「いえ」 まるで緒方の方が客であるかのようなやり取りだが、目上の誰かがいればお茶を入れるというのは、単にアキラの習慣だ。特に相手が緒方である場合、付き合いが長いだけに好みも良く知っているし。 とはいっても、緒方はこう見えて案外好みが大雑把だったりする。茶なら紅茶や烏龍茶よりは緑茶、コーヒーならブラックと、その程度だ。茶葉や豆のこだわりもないわけではないが、普段は大抵気にしない。 静かな空気が、そこに流れる。 「アキラ君」 「はい」 緒方の呼びかけに、自分も茶をすすっていたアキラはチラリと彼の方へと視線を向けた。 「静かだな」 「はい」 「誰もいないな」 「そうですね」 「ふたりきりだ」 「……ええ」 緒方、何が言いたいのか。いぶかしげな視線を向け始めたアキラに、緒方はニヤリと笑ってみせた。何気に怪しげな笑顔だ。 「アキラ君、目が泳いでるぞ」 「……そうですか?」 何かを言い当てられそうな、そんな雰囲気。 それを読み取ったのか、アキラの視線はふいと緒方から外された。 「多分……緒方さんと同じ事を考えているんだと思いますよ」 そうきたか。 ちょっとからかってみるつもりだったが、やぶへびだったか。いや、しかし今更すぎて、お互い探りあったり隠したりするほどの事ではないし。 「……遅いな」 「そうですね」 再びの間。 要するに、二人は『彼』の来訪がないのを気にしているのだ。 そう、ヒカルの。 別に、ヒカルだって毎日ここへ来ている訳ではない。頻度はかなり高い方だが、勿論来ない日だって普通にある。だからいつもなら、こんなに気にしたりはしない。しかし今日に限っては、ヒカルはここへ来る事を事前に明言しているのだ。久しぶりに、アキラと打とうと約束もしていた。それが午後になっても現れない。だから、気になる。 何かあったのだろうか、とか。 そうでなくとも、ヒカルは突然どういう状況になってどんな行動を取るのかわからないような所がある。そういう意味で、彼は非常に危うい。 「別に、困るほどの事ではないがな」 「……そうですね」 意味のない言葉の応酬。 気になるなら連絡のひとつでも入れればいいのだが、それはいくらなんでもやりすぎなのではないかと、いらぬ気を働かせてしまう二人だ。 まったくもって困ったちゃんというか、謎めいた塔矢門下である。 「こんちは〜!!」 がらりと引き戸が開けられた音とともに、元気のいい声がかの人の来訪を告げた。 瞬時に反応を見せた二人だが、まるで何事もなかったかのようにその場に佇んだまま、ドタドタと廊下を歩いてくるヒカルの登場を待つ。 まるで兄弟のように似ている二人だ。 「あー、参った参った。よっ! 塔矢、緒方センセ!」 ヒョイと和室に顔を覗かせたヒカルは元気に片手を挙げて見せた。 「随分遅かったんだね」 実にさりげない仕草で、ヒカルへと視線を移すアキラ。 「ああ、悪い悪い。寝坊した。そんでついでに途中で何か買って行こうと思って店に寄ったらさあ、すげえデカいスイカ売ってたんだよ。食べたくなっちゃってさ、買ったんだけど」 ハハ、と照れたように笑うヒカル。 「会計済ませた途端に落っことしてさ。見事に真っ二つ。中身は飛び散るし辺りは汚すし散々だったよ」 「……スイカ?」 季節はずれにまた頓狂なものを……と考えたアキラ達の目の前に、ズイと大きな袋を差し出すヒカル。 「店の人が丈夫なビニールの袋に入れてくれたから助かったんだけどさ」 そう言いながら差し出された大きな袋の中では、真っ二つになったスイカがもんどりうっている。汁でグシャグシャになっているそれに、アキラは思わず顔をしかめた。 「まったく君はとんでもない事をしでかすな……」 嘆息しつつ、立ち上がる。 「貸してごらん。僕が切ってくるから」 「あ、サンキュ!」 ズシリとしたそれを受け取る。こんな重いものをここまで持ってくるのも大変だったろうに。そんなに食べたかったのだろうかとも思うが、ヒカルの性格なら、それも納得できるというものだ。 スイカを持って台所へと向かったアキラを見送って、ヒカルはその場にボスンと座り込んだ。 「あ〜、疲れた」 はあ、と息をつくその姿に、緒方はクックと忍び笑いを漏らしてしまう。 「な、何だよ緒方先生」 「いや、お前らしいと思ってな。……アキラ君、お前と対局できるのを楽しみに待ってたんだぜ」 楽しそうな緒方に、ヒカルはチェ、と顔を逸らす。 「どうせ俺はドジですよ。……うん、でも俺だって塔矢との対局は久しぶりだからさ、楽しみにしてたんだぜ!」 その割に、寝坊なんてしたけれど。 現在のヒカルの目標はアキラのいるところまで昇りつめる事なのだし、これでもライバルを自負しているのだから、対局できるのが楽しみでないはずがない。 「早くあいつに追いついて、俺なんかあいつに全然かなわないとか言ってるヤツの鼻をあかしてやるんだからさ!」 そんなヒカルの表情は、包み隠さず明るい笑顔だ。 こんな風に何でもかんでもあけすけなヒカルと、嬉々としている部分まであまり表に出そうとしないアキラ。 まるで太陽と月のようだと、緒方は思う。 明るく眩しい太陽と、静かな光を放つ月。 彼らの性格というか見た目からというか、存在を例えるならまさに太陽と月だ。勿論ヒカルが太陽で、アキラが月となる訳だが。 わけだが。 緒方は考える。 これが『囲碁』であるならどうだろう。 囲碁という側面から二人を見てみると、その存在はまるで逆になっているように思う。 多くの人間に認められ、名実ともに棋界の希望の光とたたえられるアキラと、その存在をほとんど知られていない影のような存在のヒカル。 それはまるで、標となる強烈な輝きを持つ太陽と、密やかな光を発する月。 蒼白い月のように、ヒカルの奥底にひっそりと輝く脅威には、気付く人間しか気付かない。けれど逆に、気付く人間だけは気付いているのだ。 月は自ら輝かない。 彼を見ようとする外部のベクトル――光を受けて、それを反射する。 そして、太陽の放つ光を。 不思議なものだ。 こんなにまで対極にいる二人は、出会った事が運命であったのか、それとも出会えた事が奇跡であったのか。それはわからないが。 時にまったく逆の意味の輝きを交換し、分け合う二人。 そんなふたつの光と影は、お互いに大きな影響を与えながら上へと伸び続け、そしてまた輝きを放つ。 ヒカルとアキラ。 「同じ光の名を持つ二人ゆえ、か」 小さな呟きに、ヒカルはふと、緒方を見た。 「先生? 何か言った?」 キョトンとした視線を向けるヒカル。 「……別に、なにも」 緒方はただ、ニヤリと笑った。 「チェッ、そーいう顔する時の緒方先生って、大抵ロクな事考えてないんだよなー」 「コイツ」 生意気を言うようになったと思いながら緒方が再び口唇の端をつりあげた時、よく通るアキラの声が台所からヒカルを呼んだ。 「進藤、切れたよ。運ぶのを手伝ってくれ」 その声に、ヒカルの表情がパッと明るくなる。 「お、サンキュ、塔矢!」 ガバッと立ち上がったヒカルは、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべ、バタバタと駆け出していった。 「やれやれ……」 せわしないヤツだと、緒方はため息をつく。 運命であれ奇跡であれ、それはお互いにとって、何事にも代えられない幸運であっただろう。 けれど本当に幸運だったのは、そんな二人と同じ時代を生きる事を許された、周りの人間なのだろうと思う。その中には勿論、緒方自身も含まれている。 まったく、興味も危機感も、底が見えない。 「飽きる暇もないな」 おひさまとお月さん――か。 ひとりになった部屋の中で小さく呟いた緒方は、微かに眼を細め。 さも愉快そうに、再び微笑むのだった。 END |
★まあ今回は本当に見たまんまというか、日頃氷村が考えているヒカル像を。この子って意外と囲碁界の影みたいな子だなあ、なんて(笑)。 |