UP20050108

緒方家騒動記 ― 4: ホワイトボード





「こんちはーーー!!」

 いつも通りの元気な挨拶は、いつも通りの進藤ヒカル。
 彼の実家とは違う、カラカラと子気味のいい音をたてる引き戸は、ヒカルの元気のよさに似合いすぎるほど似合う。
 見慣れた玄関をぐるりと見回して、ヒカルは首をかしげた。
「緒方せんせー?」
 聞こえる場所にいるかは定かではないが、とりあえずこの家の主の名を呼んでみるヒカル。

 僅かな間。

「なんだ?」
 呼ばれた緒方が静かな動作で顔を出した。どうやら彼は、玄関から至近距離である居間にいたらしい。
「先生、加賀板は?」
 ヒカルは壁の一点を指差す。
 ヒカルの指差した先を目で追った緒方は、そのままヒョイと肩をすくめて見せる。
「お前、タイミングよすぎだ。今取り替えようとしていたところだ」
「へえ。取り替えるの?」
「ああ、いい加減汚れが取れにくくなってきてたからな。さっき新しいのを買ってきた」
 ちょうど梱包をといたところだ、とつぶやきながら、緒方は居間から平らな板を抱えてくる。たたみ一畳分くらいはあろうかという大きさの、ホワイトボードだ。
 そのボードを壁のフックにかけた緒方は、その左上にマーカーで『緒方』と書き込んだ。
 そして一瞬考えるようなしぐさの後。
 奈瀬、三谷、冴木、と、三人分の名前を適当な場所に書き込む。
「あ、三人きてるんだ」
 ヒカルは緒方の手からマーカーを受け取り、空いたスペースに大きく『進藤』と書き足した。
 それぞれの人間が、この家に来た時にはここに名前を書き込み、帰りにはそれを消す。
 このホワイトボード、要するに現在この家にいる人間が一目でわかる、出席簿のような役割を果たしているのだ。

「ちース」

 ガラガラガラ。
 軽快な引き戸の音と共に現れたのは、茶菓子をいれたスーパーの袋を肩からぶらさげた加賀である。
「あ、加賀!」
「いよう」
 ヒカルは嬉々として新たな訪問者に近づく。
「見ろよ加賀。加賀板が新しくなったんだぜ!」
 そんな嬉しそうなヒカルの笑顔に、しかしそれを向けられた加賀はあからさまに顔をしかめた。
「なあ……いい加減その『かがばん』っての、やめねえ……?」
 加賀の言葉に、キョトンと目を見開くヒカル。
「なんで? 加賀板でいいじゃん」
「そうだな、加賀板だ」
 緒方まで加勢する。
「お前ら、人の過去傷をいつまでもひっぱりやがって……」

 玄関にこんな出席簿のようなホワイトボードが置かれるようになったのも、それが『加賀板』などと呼ばれるようになったのにも、ちゃんと理由がある。




 常日頃から不特定多数の人間が出入りしている緒方家。しかし最初からこんな出席板が存在していたわけではない。
 頻繁に出入りする何人かはこの家の鍵を所持し、そうでない者には鍵の隠し場所を教えてあるから、誰もいなくても、誰もがこの家に入るのに困らない。この家に来訪する際には家人にきちんと報告してから、というのは暗黙の了解であったし。全員が最低限の節度を守って、この家に遊びに来ている。
 自由に来て自由に帰り、まあそれで不都合があったという事は無かった。

 ――『あの日』までは。

 ある日、加賀はふらりと遊びに来て、そのまま際奥の和室に閉じこもって詰め将棋に興じていた。ついうっかり夢中になりすぎて、ふと気づけばとっくに日も暮れて、時間はすでに午後9時をまわり。
 結果、夕食を食いっぱぐれた。
 夕食の時間、誰も加賀の存在を認識していなかったのである。
 そしてやいやいと文句を言い放つ加賀のために、もう一度夕食を作り直すという二度手間を負ったのは、その場にいたあかりだ。

 そこまではまあ、よかった。

 その後、しばらくして。
 多分それは、夏の暑い日だったように思う。
 その日加賀はやはりふらりと遊びにきて、夕方まではその姿を見た人間が何人かいた。
 その後彼はいい陽気につられて庭に出て、広い庭の中でも一番涼しい木陰で昼寝(?)を決め込んでいたのである。
 夜を迎え、宿泊組以外は家路につき。玄関にはしっかりと鍵をかけ。
 翌朝早くから庭に水撒きにでた緒方が、木の根っこならぬ横たわる加賀にけつまづいた時の驚愕ぶりは、筆舌に尽くしがたい。
 朝一番に全身に水をぶち撒けられた加賀の驚愕もしかり、であるが。




 そうして設置されたのがこの出席簿代わりのホワイトボードで、それは当然のごとく『加賀板』と名付けられていた。
 定着率もすばらしく良好だ。
「普通にホワイトボードでいいだろうがよ……」
 多大なる不満を持ちながらも加賀が強く主張できないのは、自業自得を一応は自覚しているからである。

「そこでナニやってるのぉ?」
 奈瀬がヒョコンと顔を出した。
「あ、新しい加賀板ついたわね〜。キレイキレイ! 私夕飯の買出しに行ってくるね!」
 マーカーを手にした奈瀬が、達筆に書かれた自分の名前の横に漫画のようなふきだしつきで『買出し!』と書き込んだ。
 既に『加賀板』以外の何物でもないそのボード、最初こそ名前を書き込むだけのものであったが、しばらく経つと、一時家を空ける際にはそれを書き込む習慣もついてきた。誰が始めよう、と発言したわけでもないが、おそらくきめの細かい女子組が最初にやりはじめたのだろう。
 ただ、あらゆる事を書き込みすぎると逆にごちゃごちゃと見にくくなってしまうため、書き込みはその程度で定着しているようだ。
 使ってみれば、大変便利な加賀板である。

 奈瀬が元気に出て行ったのを見送った後で、加賀は憮然とそのボードに自分の名前を書き込んだ。
 ヒカルはニヤニヤしながら、ボードの縁を撫でさする。
「やーっぱ新しいと気持ちいいよなあ、加賀板!」

 くわっ。
 加賀の赤毛が逆立ったように見えたのは気のせいか。

「ホ・ワ・イ・ト・ボ・オ・ド、だろおがあ!?」

 しかし、その叫びは哀しいかな。
 この先にも誰にも、届かなそうである。




END
[ノンセクションTITLE100:::053]




★いや、加賀板でしょ……(笑)。



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