UP20030424

恋歌





 良く晴れた休日。
 駅前で待ち合わせたヒカル、和谷、伊角の三人は、珍しくカラオケボックスへと赴いていた。
 伊角の新初段祝いと称して、三人で遊びに出てきているのだ。
 新初段の祝いだというのなら、和谷の部屋ででも一局打つ、というのもアリなのかもしれないが、そうでなくとも年中碁ばかり打っている連中だ。たまには別の事をするのもいい。
 それでなぜカラオケボックスなのかといえば……単に、手軽な遊び場だった、というだけだ。最近はフリータイムサービスも増えてきている。個室で好きなだけ話も出来るし食べたり飲んだりもできるから、長時間退屈する事がない。

「でも俺、歌うのはちょっと苦手なんだけど……」
 あまりにもらしすぎる呟きは、お祝いされる張本人、伊角だ。
「へえ、そうなんだ?」
 いかにも伊角っぽいと、妙に納得してしまうヒカルだが。
「なぁに言ってんだよ、伊角さんッ!!」
 バシッと、和谷が伊角の背中を叩く。
「痛……っ」
「プロ試験の前に、中国でたっぷり度胸つけてきたんだろ! カラオケなんてどうって事ないじゃんか!!」
 ははは、と高笑いの和谷、何気に言いたい放題だ。というか、イヤな処を突く。デリカシーが皆無なのか、それともわざとやっているのか。
「あ、あのなぁ、和谷……」
「新初段の実力、見せてくれよォ〜♪」
 全然関係ない。そして訳がわからない。
「ハハ、ほら、さっさと中に入ろうぜ。時間もったいないじゃん」
 ヒカルは笑いながら伊角の腕を引く。和谷には後ろからぐいぐい押されて、伊角はつられて歩くしかない。
 そう、今日の主役は伊角なのだから、彼がいなければ始まらない。その主役の意向は、まるでシカトされているようにも見受けられるが。
「わかった、わかったって……」
 院生だった三人がプロになって。色々変わった事もあるけれど、それでもやっぱりこういうところは相変わらずだ。
 いつまで経ってもこの二人には勝てそうにないなと、伊角は苦笑の下で考えた。




 しかし、始まってしまえば何とかなるもので。
 院生の頃から付き合いの多い三人の事、寄り合えば自然と盛り上がる。彼らが部屋に入って半時も経つ頃には、ジュース片手に派手な宴会騒ぎとなっていた。
「あ、オレ次これこれ!」
「はいはい、どれ?」
 パラパラと厚い本をめくってタイトルを探していたヒカルが、ひとつのタイトルを指差して伊角に見せた。先刻からヒカルは、歌う歌の入力を全て伊角にさせている。自分でやるのが面倒くさいらしい。
 ――あくまで、今日の主役は伊角なのだが。
 しかしそんな事を微塵も気にしていないらしい伊角は、ヒカルの指したタイトルを覗き込んだ。
「……あれ」
 首をかしげる。
「進藤これ、洋楽じゃないか」
 伊角の言葉に、和谷が興味津々に顔を出した。
「何、進藤お前、そんなの歌えんのかァ?」
 からかうような和谷の口調にも、ヒカルはパカッと笑顔で答える。
「ああ、へーき。これだけは歌えるんだよ」
 緒方先生がたまに聴いてるから、とヒカルは言う。
「緒方先生が?」
「そう。これだけは時々口ずさんだりもしてるんだ。よっぽど好きなんだろーな」
 緒方は普段、滅多に歌など聴かないし歌わない。だがこの歌に限っては、スピーカーから流れてくる本家の歌以外に、時々緒方の口で歌われるのをヒカルは耳にしていた。ヒカルが興味を持って歌詞を聞き返してみれば、発音を教えてくれたりもしたものだ。だから、覚えてしまった。
 ヒカルがマイクを持ったのを眺めて、伊角は得心した。
 なるほど、確かに歌えている。モニタの画面を見てはいるが、そこに映し出されている歌詞を追っている様子はない。発音だけで覚えてしまっているのだろう。多分、この歌詞を別の場面で見せて「読んでみろ」といえば、おそらくヒカルは読めない。
「あの緒方先生がねえ」
 和谷が呟く。余程イメージに合わないのだろう。
 明るくノリのいいポップスを、伊角はどこかで耳にした事がある。たぶん有名な曲なのだろう。タイトルは知らなかったが、洋楽なんて割とそういうものだ。
 しかし。
 その歌を聴いていた二人のうち、伊角だけが我知らず頬を染めてしまう。
 これって……。
 多分ヒカルは、その歌詞の意味など知らずに歌っているのだろうが。
「伊角さん、なに赤くなってんだよ」
 和谷の言葉に、伊角は苦笑してしまう。
 緒方の事だから、人前で歌うような習慣はないだろう。多分、ヒカルだから、この歌を聞かせているのだろうと思う。
 そう、ヒカルにだけ。
「なあってば、伊角さん?」
「ナニナニ。そんなに俺の歌に聞き惚れた?」
 大勘違いな事を嬉しそうに言うヒカル。
 そんな訳ねーだろ! と突っ込む和谷を笑顔でなだめながら、伊角はヒカルに確認してしまう。
「なあ進藤、緒方先生がこの曲口ずさむのって、地方遠征の前とか、長い期間会えない時とかじゃないか?」
「え、伊角さん、なんでわかったのさ?」
 やっぱり……。
 なんだよそれ、と訳もわからず目を白黒させる和谷をまたも押さえて、伊角は次々、と続けざまにヒカルに歌を勧める。そんな彼の勢いにのせられて、機嫌よく歌いだしたヒカルを尻目に、伊角は和谷を傍に呼んだ。
 ボソリと呟く。
「瞳を閉じて――キスをしてあげる」
「はあ!?」
「この歌の歌詞」
 そう言って、耳元で囁かれた英語の歌の訳詞に、和谷は目を見開いた。
 彼も伊角同様赤面し、思わず口が笑ってしまう。
「はは……さすが」
 手練だ、緒方先生……と呟いた。


 明日になれば僕たちは、はなればなれだけれど、いつだって君だけを想っている
 離れている間 毎日手紙を書いて、君にキスをしているつもりで
 はやく君に会えますようにと
 僕の愛のすべてを君に贈るよ すべての愛を君に
 ダーリン、あふれる愛を この愛のすべてを君に


 ――そんな歌。
「こっぱずかしい……」
 和谷の素直な感想だ。
 どうという事はない、つまりがありがちなラブソングなのだが、この場合、緒方がヒカルに向けて歌っているという事実が確実だけに、恥ずかしいのだ。
 普段、ヒカルが歌の意味などてんで考えもしない事を前提にして、この歌を歌って聞かせているのだろうか。
 何とも大胆な、日常的な愛の告白。
 繰り返し、繰り返し。
 彼らしくないといおうか、かえってらしいというか。
 傍で聞いているこっちがたまらない。
 ……だけど?
「なあ、進藤。さっきの歌、意味わかってるのか?」
 何となく、そんな事を訊いてしまう伊角。意味を知らないで歌っているのでは、と、先刻は思ったが……。しかしヒカルは間奏の間、へへ、と笑って、悪戯っぽく首を傾げて見せた。
「さあー?」
「……」
 知ってるんだな。
 和谷と二人、視線で会話してしまった。
 こう言ってはナンだが、あの緒方がそんな密やかで遠慮がちな行動をとるとは思えなかったのだ。『この歌はこんな意味なんだぜ』とヒカルに言って聞かせているんじゃないだろうかと、思ってしまった。そしてそれは、実に思った通りで。
 他人に愉快な第一印象を与えがちな緒方だが、実際のところも大差ない。
 それでも彼がどこか他人が一歩間を空けて付き合おうとするような雰囲気を持っているのも確かで、そんな緒方の寵愛を一身に受けているヒカルもすごいと思うのだが。
 そういう愛情を受けて、幸せそうに笑うヒカル。
 この少年を、こんな風に笑う人間に変えた緒方もすごい。
 愛されているのだという自覚をこの男に持たせるのに、さぞ苦労した事だろう。
 ヒカルとの付き合いが長い二人だから、わかるのだ。
 ヒカルの心からの笑顔を引き出すのが、いかに難しい事であったか。
「ま、さすがって事だよなあ」
 和谷の呟き。
 詳しい馴れ初めは知らないが、緒方とヒカルの付き合いも結構長いものであるらしいし。ヒカルには、これ位強引でハッキリとした表現が丁度良いのだろう。
「はは……まあ、ラブソングってのも、結構悪いものじゃないのかもしれないな」
 伊角も和谷も、普段あまり興味を持っているわけではないが。近くにいる人間が幸せそうに歌うラブソングは、不思議と心地良い。

「ほらァ、次は伊角さんッ! 全然歌ってないじゃんか!」
 気分よく歌い終えたヒカルに、唐突にマイクを渡される伊角。
「おッ、俺は」
「そーだ、伊角さん歌え歌え〜!」
 和谷にもはやし立てられて。
「ったく、しょうがないなあ……ちょっと待てよ」
 分厚いインデックスをパラパラとめくりながら。

 今度、ヒカルに緒方を誘わせて、一緒にカラオケに来られたら面白いかもしれないな、などと、彼にしては珍しい悪戯心を芽生えさせてしまう伊角だった。

 ラブソングが一番似合うのは――やはり、幸せな恋をしている人間、なのである。




END
[ノンセクションTITLE100:::025]




●あとがき●
カラオケに行きたいです。
ところでヒカルの歌った歌は何なんでしょうね(笑)? 実はビートルズです。ちなみに訳詞はかなり氷村の意訳なので、そのまま信じないで下さい(爆笑)。だって歌詞も訳詞もサイト上には載せられないんだもん〜〜。



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