UP20030724

日めくりカレンダー





 久しぶりに緒方の部屋を訪れたヒカルは、テーブルの上にあるブロックメモのようなものを目に留めて、あれ、と思った。
「なに、これ?」
 ヒカルの呟きに緒方が歩み寄ってくる。その物体を覗き込んで、興味なさそうに「ああ」と返した。
「そりゃカレンダーだ」
「カレンダー?」
 ずいぶん厚いカレンダーだ。なんだか可愛げな表紙絵に隠れて一見何だかわからなかったが、どうやらそれは、ひめくりになっているらしかった。
「地方に出た時に、ホテルでもらったんだ。何かに使えないかとも思ったが、あまり役にたちそうにはなかったな。欲しければやるぞ」
 緒方の言葉に、ヒカルはハハ、と笑った。
「いーよ。ひめくりなんて、オレ絶対途中でめくらなくなるから」
 途中どころではなく、最初からかもしれない。
 ヒカルは典型的に、夏休みの日記に苦労をしてきたタイプだ。
「お前らしいが、そろそろ日課ってのを持つのも悪くないぞ。少しは計画性や持久力も学んでおけ」
「なンだよォ……」
 別に本気でヒカルに説教するつもりはなかったし、どうしてもカレンダーをくれてやりたい訳でもなかったが、緒方はふと思い立ってそのカレンダーを手に取った。
 周りを覆うビニールをパリパリと破り、本体を取り出す。
 そして、既に過ぎてしまった日数分をまとめて何回かに分けて引き剥がせば、ほどなく今日の日付が一番上に来た。
 ペンを取る。
「次にオレたちが会うのはいつだ?」
 唐突な緒方の質問に、ヒカルはキョトンと目を見開いた。
「え? えと? 二週間後?」
 たしか、つい最近この日とこの日は二人とも予定がないねと話し合ったのは、今日と二週間後とその一週間ほど先の三日分だった。
「そうだな」
 緒方は頷く。
「頻繁に会えるわけじゃないからな。次に会える日ってのは、楽しみだろ?」
「……うん……」
 一瞬の間の後の、ヒカルの返事。
 楽しみでない訳はなかったが、こうもストレートに、否定の言葉などあり得ないとでもいうかのように問われてしまうと、微妙に照れの入ってしまうヒカルだ。
「だからこうするのさ」
 言いながら緒方は、その二週間後の日付までめくり、その日を大きく丸で囲んだ。その斜め下のあたりに「緒方」と書き込む。
「この日を目指して、毎日一枚ずつめくっていくんだよ。ここまでたどり着いたら、また次の約束の日を。そうすれば一日一枚分ずつ楽しみが近付いてくるんだぜ」
「はああ」
 間抜けな相槌とともに、カレンダーに見入ってしまうヒカル。
「これならいくらお前だって、めくるのを忘れたりしないだろう?」
 この言葉には「それでも忘れるかもしれない」とは返答できない。うっかりそんな事を言えば「お前のオレへの愛はその程度だったんだな」などと思ってもいないであろう事をわざとらしく大袈裟に呟かれ、さらにど派手に大きなため息までつかれ、つまりたっぷりとした皮肉攻撃に遭うのは目に見えている。


 でも、まあ。
 これはなかなか、いいかもしれない。


 例えば壁掛けカレンダーをバツ印で埋めていくのも、変な話というかやりすぎだ。
 カレンダーに印なんかつけなくても約束は忘れないが、その日を夢見て指折り数える趣味もない。
 けれどカレンダーを一枚ずつめくっていくのは、日常の行動の中で、その日が近付いてくるのをナチュラルに感じる事ができる。
 それは何だか、いい。
 ヒカルはその辺に関しては結構アバウトというか頓着しない質だったが、一ヵ月後の約束まで交わすなんて事は、緒方が初めてだったから。

「へへ」
 ヒカルは気味悪くニヤつきながら、そのカレンダーを手に取った。
「お、やる気だな」
「まーねー」
 やる気になってあげないと、緒方先生が可哀想だから、などとうそぶいてみる。ゴツ、と頭部に拳を喰らうが、ヒカルのそんな言葉に緒方が本気で腹をたてている訳もない。

「さて。二週間後の約束はともかくとしてだ。今日はどうする」
「ん、腹減った」
 いきなりか。
 ヒカルはここに訪れたばかりで、昼にはまだ早い。
「お前は本当に何より食い気だな」
「健康な証拠だよ。んでその後は、久しぶりに打とうぜ」
 食い気ばかりで、それ以上に囲碁ばかりだ。
 しかしその点は、緒方も同じだからいい。
 緒方はソファにどっかりと腰を沈め、ヒカルの手を引いた。
「じゃあ何が食いたいか決めろ」
「ん……、どうしようかな」
 緒方の組んだ膝の上に器用に馬乗りになりながら、ヒカルは思案する。
 とりあえず、ベタつく事は欠かさない二人だ。
「緒方先生は何が食いたい?」
「おまえ」
「バカ」
 身体に触れ合いながら、時間が過ぎて行く。
 会わないでいる日も、同じ速さで時間は過ぎる。
 小さな紙一枚分ずつ、それを感じるのもいいだろう。


 穏やかな時を過ごす二人の傍らで。
 日めくりのカレンダーが、静かにその場に佇んでいた。




END
[ノンセクションTITLE100:::033]




●あとがき●
まるでカレンダーに生命があるかのような描写ですね……(笑)。それはともかく、日めくりカレンダーは氷村も結構苦手です。持続力がないので。



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