UP20030424

毛糸球





 うららかな日差しも眩しい、とある日曜日。

 今日は部活もなくて。
 抜けるような空の色は、果てしなく青く。
 絶好の昼寝日和だ。
 ――イヤ、寝ている場合ではない。

 今にも瞳を閉じそうな勢いでぼんやりと窓の外を眺めていたリョーマだったが、ふと我に返って、ついていた頬杖を解く。
 その背後で、かすかなボフ、という音がした。
「ホァラ〜」
 ドアの向こうからの鳴き声と共に、またボン、という音。
「カルピン?」
 部屋に入りたがっているのであろう愛猫のためにドアを開ければ、その隙間から大きな毛玉と毛糸球が同時に転がり込んできた。
 微かに目を見開くリョーマ。
「毛糸?」
 どうやって運んできたのか、カルピンは部屋の中に入っても、随分とお気に召したらしいその塊を追いかけて走る。
「ちょっと、カル」
 追いついて。
 鼻先でつついて、前足でちょっかい掛けて。
 その拍子にまた転がりだしたそれをさらに追いかけ。
 ぐるぐるぐるぐる。
「……」
 よくも飽きないもんだ。
 思わず感心して見入ってしまうリョーマ。
 ほつれた毛糸の端をガミガミとかじり始めたカルピンをからかうように、リョーマはツン、とその玉を指でつついて転がした。糸の端をカルピンの傍に残したまま、毛糸球は一本の線を描いてコロコロと転がる。
 追いかけるカルピン。
 身体には、ほぐれた毛糸がまとわりついている。
 再びツン。ゴロゴロガミガミ。
「…………」
 ちょっとした悪戯心で。リョーマはちょっと強めに転がした毛糸球とカルピンの間に割って入って座った。
「ホァラ〜」
 びよん、とリョーマの膝の上に乗り上がるカルピン。そして勢い良くそこを飛び越え、一目散に目標である毛糸球へと向かう。
 毛糸を巻き散らかされ、足蹴にされたリョーマは憮然としてその姿を眼で追った。
「コラ、カルピン」
 再びカルピンと毛糸球の間に割り込むリョーマ。しかも今度は腹這いだ。リョーマも意地になっているのだろうが、結果は同じ事だ。またもカルピンの猫キックを喰らって、ムッとする。
「これならどうだ」
 ひょい、と、毛糸球を持ち上げる。片手で高々と掲げてみせると、カルピンは勇敢にそれに立ち向かった。しかし負けないリョーマは、それをポンと遠くに放る。
「それ」
「ホァラ〜」
「ほら」
「ホァラァ〜」
 ドタンバタン。
 すでにリョーマも、それを楽しんでいた。

「リョーマさん? 手塚さんがみえたわよ〜」
 階下からの、菜々子の声。
 しまった、と我に返ったが、時すでに遅し。
 リョーマは今日、手塚が久しぶりに家まで遊びに来るのを待っていたのだった。忘れていたわけではないが、つい夢中になってしまった時に、ナンとも絶妙なタイミング。

「……何をやっているんだ」
 勝手知ったる家で案内無しに部屋のドアを開けた手塚を、リョーマは仰向けで迎え入れる事になった。その身体には、細い毛糸がぐるんぐるんに巻きついている。いつの間にやらカルピンは単独そこから脱出して、涼しい顔で毛づくろいなどしていた。
「……ドモ」
「……」
 寝転んだままピョイと片手を挙げて見せたリョーマに、見下ろす手塚は沈痛な面持ちで頭を抱えるのであった。




「今時、子供だってやらないぞ」
 リョーマの身体中に巻きついた毛糸をほぐしながら、手塚はそれを再び球状に巻き取ってゆく。手塚と向かい合う形で床に座り込んでいるリョーマは、そんな手塚の言葉に憮然とした表情を返した。
 子供だってやらないと言われてしまっては、リョーマの常套手段である「オレはガキだもん」が使えない。手塚も慣れたものだ。
「しょーがないでしょ。もともと球遊びが好きなんだからね」
「何が球遊びだ……」
 呆れた面持ちで、ひたすら毛糸を巻き取って行く手塚。
「ほら。動くなよ」
 ぐるりと、リョーマの頭上から背中にかけて腕をめぐらせる。
「……」
 相変わらずだけど。
 まったく、シャクに障るよね。
 人を散々子供扱いしながら、その上そうやって軽々と背中まで腕をまわしちゃったりするんだから。コンプレックス、刺激されまくりってヤツ?
 しかも、しかもだ。
 そんな風に背中にまで腕をまわされている時に、至近距離に迫る手塚の胸元とか、頬のそばを掠める二の腕とかが何となく気分良く感じるってのが……本当にシャクに障る。
 気に食わなかったはずのこの体格差を、最近は心地よく感じてしまうのが。
 ムカつく。

「部長はさ。扱いにくい生意気な奴って苦手でしょ」
「……何?」
「無意味なスキンシップとか、自分のペースを狂わされる事とか、滅多にないだけに面倒でしょ?」
「……」
 手塚には、リョーマが何を言わんとしているのかが今イチ掴めない。
 リョーマの質問に返答をするとすれば、確かにそれは肯定する事になるのかもしれないが。
 苦手な人間像を言われたところで、手塚はリョーマの言うような人間とだって、ちゃんと付き合っていく事は出来る。上手くいなす術を持っているからだ。ただ、進んでそういう人間を懐に入れようとはしない。そういう意味で言うとするなら、確かにそういった人間を得意としていない、という事になるのかもしれないが。
 しかし、それは。
「お前が今言った人間像は、まるっきりお前に当てはまるような気がするが」
 素直な感想を、素直に述べる手塚。
「そーでしょうね」
 一気に瞳を据わらせるリョーマ。この人の、こういうところも気に食わない。
「だからね、苦手な者どーし、オレ達くっついてるって訳」
「お前はオレが苦手なのか?」
 手塚は再びリョーマの頭上に腕をめぐらせた。心なしか、その表情は微かに笑みの形になっているような気がする。
「ソーデス。そーゆう処が気に入らないんス」
 いつでも余裕そうで。まるで自分の方がはるかにウワテなんだって見せ付けているようで。そのくせ実はそんな深い事を考えてない天然で。
 そういう人間が、リョーマは苦手だった。

 苦手なのに。
 なんでだか、一緒にいるんだよね。

 好みかそうでないかというなら、もっと性に合う人間が他にいくらでもいそうなものなのに、どういう成り行きか、二人は一緒にいるようになった。
「どうしてだと思う?」
 そんな風に問われて、手塚は微かに首をかしげるような仕草で「さあな」と言った。
 手塚のそんな返答は予想済みだ。
 リョーマは手塚の手の中の毛糸球をヒョイと取りあげた。
「おい、まだ」
 巻き取り終わっていない、と言う暇を与えず、リョーマはそれをポイと放る。
「こら……」
「カルピーン」
 リョーマの呼びかけに、ベッドの上でくつろいでいたカルピンがピョコンと反応する。
「ホァラ」
「大好きな毛糸球だヨ」
「ホァラ〜」
 カルピンは嬉しそうにその球に飛びかかる。
「おい、越前……」
「ほらほら」
 どたどたどた。
 手塚が来る前にやっていたように、リョーマは毛糸球をころころと操って、カルピンの気を引いた。せっかく手塚が巻き取ったそれを、カルピンは容赦なく巻き散らかして行く。もともと猫の扱いには慣れていない手塚だ。そうなったカルピンを、止められよう筈もない。
「越前!」
 リョーマの手を押さえようと伸ばされた手塚の手を、逆にリョーマが掴む。
「だーめ」
 そのまま、リョーマは手塚の首に己の腕をまわして抱きついた。
 どた、どたん。
「ホァラ〜」
 勢いに任せて倒れた二人の上を、カルピンは毛糸球をくわえてドタドタと走り過ぎて行く。
「……」
 手塚国光、猫に足蹴にされる日が来ようとは。
 手塚の下敷きになっているリョーマが、軽くうめいた。
「部長、重い……」
「! 越前」
 リョーマの自業自得である事も忘れて、手塚はリョーマの上で一瞬力を抜いて、身体をずらした。
「ナンチャッテ」
 グルリ。リョーマはすばやく手塚の上へと乗りあがる。
「越前!」
「部長もさっきのオレと同じ。毛糸まみれだね」
 今度はリョーマの下敷きにされて、手塚は床の上に仰向けになったまま観念した。
 こういう悪戯心を持った時のリョーマは、したいようにさせるのが一番なのだ。ある意味、猫よりも質が悪い。
「何がしたいんだ、お前は……」
 呆れたような手塚の呟きに、リョーマは不敵な笑みで返す。
「この毛糸と同じ。オレと部長って多分、糸でがんじがらめだったんスよ」
「糸?」
 ウンメーの赤い糸……とかいう奴?
 手塚の上に腹這いになったリョーマのへへ、という笑いに、手塚は深々とため息をついた。
 照れるくらいなら言うな。
「だからオレと部長は最初からこーなる運命だったって事」
「お前が運命とか言い出すとはな」
「そーでも言わなきゃ納得できないんスよ」
 よりにもよってこの二人が、こんな風にじゃれ合っているという成り行きが。自他共に認めるほどに謎すぎて、正直本人たちにも訳がわからないのだ。
「だからとりあえず赤い糸のせいにしてね、そうしたら部長を縛り付けとく言い訳にもなるし」
 リョーマはちょこんと手塚の口唇にキスをする。リョーマのキスは、いつもこんな感じだ。
「弱気だな」
 されるがままになりながら、手塚はここに来て何度目かのため息をつく。
「赤い糸の力を借りるなんて、らしくないな」
「戯言っス。予防線張ってるだけだよ、今はね。行く行くはオレのミリョクでがんじがらめにするつもりっスから」
 魅力。
 吹き出してしまいそうになるが、ここは我慢。
 リョーマがあまりにもらしくなく可愛い事を言うから、手塚はとりあえず黙っておく。

 すでにがんじがらめだとは……今は言わなくてもいいような気がした。

 まあ、口では言わないけれど。
 手塚は、毛糸で巻かれて不自由なままの腕を、リョーマの背中へとまわした。
 そのまま、今度は自分がリョーマへと口接ける。
 リョーマがするのとは違う、少し長めのキス。

「やっぱりアンタって……気に食わない」
 口唇を放したリョーマの第一声。その瞳は、晴れやかに微笑んでいた。


「リョーマさん、お茶が入ったわよ」
 ガチャ。
 お約束のように部屋に踏み込んできたのは、お茶のポットと茶請けの菓子を手にした菜々子である。
「………………」
 その足が、部屋の中の光景を凝視した後、半歩ひいた。
「私ったら、気の利かない女でごめんなさいね……」
 さらに一歩下がりながら、フォローの仕様のない発言をかます。
 ホホホ、と変な笑いのまま部屋から遠ざかろうとする菜々子を、リョーマと一緒くたに毛糸で巻かれたままの手塚が慌てて止めた。
「あの!」
「……はい?」
「手伝ってくださると……助かります……」
「……」
 ブフッと吹き出してしまう菜々子。
 アハハハハ、と笑い出してしまった菜々子に、リョーマは憮然とした視線を向け、手塚は微かに赤面したまま眼を伏せてしまった。だが、自分たちだけではどうにもこの毛糸から開放されないのだから仕方がない。

 運命の糸のような、がんじがらめの毛糸。
 リョーマ言うところの『赤い糸』は、なかなか一筋縄ではいかないらしい。




END
[ノンセクションTITLE100:::035]




●あとがき●
今回はやはりアレですね。二階まで毛糸球を運んできたカルピンが敢闘賞でしょう。ていうか、本当に一階から運んできたのか……(笑)。<あまり深く考えないで下さい〜。ていうか、なんかリョーマさんがらしくないよ!



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