UP20030525
最後の言葉
部活動が終わった後の部室は大抵にぎやかだが、今日は格別だ。 というのも、テニス部きっての(?)ムードメーカー桃城のテンションが、いつもにも増して高いせいである。 「ホントにこれ、絶対にいいっスから! 感動間違いなしっスよ!!」 「へえ〜」 桃城がグイグイと押し付ける小説本を受け取っているのは菊丸だ。 「どうしたんだ? 二人が小説を読むなんて珍しいじゃないか」 大石がそんな二人のやり取りを横から覗き込む。 確かに珍しい。普段、そういうものにはまったく興味のなさそうな二人である。 「珍しいはないでしょ、大石先輩〜! これは本当にいいんですって!」 ググ、と握りこぶし。 「へえ?」 大石はただ笑った。その表情は、何気に面白そうだ。 力説する桃城だが、実のところ彼も、最初は小説を読むなど全然乗り気ではなかったのだ。クラスの女子の話題に巻き込まれて、ぜひにと薦められて半ば強引に読まされただけの話で。人のいい彼らしい。 このくらい普通に読んでる男の子の方がカッコいいよね〜、などという女子の言葉に惑わされた事は、抜群に秘密だったりするのだが。 で、仕方なく読み進めていくうちに、なんだかんだとガッチリハマってしまった桃城は、こういう事を語り合うのに一番楽しい相手である菊丸にその本を薦めていたのである。 「まあまあいいじゃん。たまには文学少年も悪くないっしょ〜? もし面白かったらさ、大石にも教えてあげるからねん♪」 ポンポンと大石の肩を叩く菊丸。「クチコミ」という現象を、まさに地で行く連中だ。 「んじゃお先!」 早速とばかりに、荷物を肩にかけた菊丸は片手を挙げた。さっさと帰って桃城オススメの小説を読むつもりなのだろう。小難しそうな長編小説に彼の忍耐力がどこまで続くか、ある意味興味深くはあるが。 ともかく桃城の言った通り感動的で面白いか、はたまた思ったほどではないか。どちらにしても菊丸の電話攻撃を受けそうな大石である。 パサリ。 やれやれ、といった体で長机にジャージを放ったのは、傍で話を聞くともなく聞いていたリョーマである。 「えっちぜん。お前にも後で貸してやろっかァ〜?」 ガシッとその首根っこに力強すぎる腕をまわす桃城。リョーマは顔をしかめた。 「別にいいっス。興味ないし」 「そうゆうなよ〜。すげえイイんだぜェ?」 あまりにも予想通りのリョーマの反応に、しかし慣れている桃城はくじけない。 「これから読む菊丸先輩には言わなかったけどさ、すげえいいシーンがあるんだって」 ネタばれを気にする繊細な神経を、桃城でも持ち合わせていたらしい。 「ふーん……」 本当に興味のなさそうなリョーマはまるで聞いている様子がないが、桃城もそれを気にしている風ではない。ある意味息の合っている二人だ。 「大切な彼女をさあ、自分のせいで死なせちまうわけよ」 勝手にしゃべり始める桃城。 リョーマはその腕の中から抜け出した。首を絞められたまま語られては、帰りの準備もできやしない。 「その彼女のいまわの際にさあ、男の方はただただ『ごめん』しか言えなかったわけ。そりゃそうだよな、自分のせいで、彼女が死んじまいそーなんだからさ。バカみたいにその言葉しか思いつかなくてさ。わかるぜ〜、わかるよな〜!」 リョーマの首を絞めていた手でググ、と握りこぶしを作る桃城。 「で、後になってさ、自分は本当は、もっと彼女に言いたかった言葉があったんだって気付くわけよ! そいつは『ごめん』なんて言葉じゃなくてさ、本当は『ありがとう』って……く〜ッ! イイ話じゃねえか〜」 ……そうか? どんな感動話か知らないが、興味のないリョーマにはどうにもピンと来ない。桃城の語り口ではなおさらだ。 「だからな、越前」 「え」 まだ話を振る気か。 「彼女の最期にどんな言葉をかけるか、も重要かもしんねーけどさ、自分の最期の時に、大切な人になんて言うか、て事を俺は考えちまったワケよ〜」 今度はググ、とリョーマの両肩を強く握る桃城。 誰かは知らないが、その小説の作者を恨む。ヘタに感動させると、この男は始末におえないのだ。 「桃先輩、ジジくさ……」 「なんだとぉ!?」 無関心なリョーマの一言に、桃城はズイ、とその顔を寄せた。 「まったくお前ってヤツは、情緒のかけらもない男だよな〜ッ」 「桃先輩に言われたくないっス」 「テメぇッ」 「まあまあまあ……」 見かねた大石が、間に割って入った。 「ずいぶんハマってるんだな。最期に言う言葉なんて、桃にしては詩的な事を考えるじゃないか。どんな事を言いたいんだ?」 「お? 大石先輩、さすが話がわかるっスね! いや実はね、これだッて言葉がまだ浮かんでこないんスけど〜……」 ……やれやれ。 やっと解放された。 身代わりのように桃を引き受けてくれた大石には悪いが、リョーマはさっさと帰り支度を済ませる。ちらりと二人の方を見てみれば、楽しそうな桃城と、ひそかな苦笑いでおされ気味の大石。本当にやれやれだ。 リョーマはわざと、ハア、と聴こえるようなため息をつくのだった。 「そんな事で騒いでいたのか」 パラリとテニス雑誌のページを捲る手塚。その隣に立つリョーマは、手塚が手にしているのと同じ雑誌をパタンと閉じ、棚へと戻した。 時々立ち寄る書店の雑誌コーナー。学校帰りに手塚とリョーマが寄れる場所は限られているが、この場所も二人でいられる数少ない場所である。放課後の時間も休日も少ないのだから仕方がない。 「部長はあの場にいなかったからいいけどね」 雑誌を手に持ったまま会計へと向かう手塚の後を歩きながら、憮然とした表情を見せるリョーマ。手塚は部活の後、竜崎との打ち合わせのために席を外していたのだ。そこに手塚がいれば、あるいは「くだらない事を言ってないでさっさと出ろ」の一言でその場が収まったのかもしれないが、それも定かではない。 会計を済ませて、店を後にする二人。 「最後に言う言葉なんて、だいたい発想が若者らしくないデショ。不毛スギ」 「……」 ゆっくりと歩きながらのリョーマの言葉に、しかし手塚は言葉を返してやれない。 若者らしい、などという発言の方がよほど老け込んでいると言いそうになったのを、かろうじて耐えたのだ。 「最後の言葉って、最後に言うから最後なんでしょーが。今考えたって仕方ないでしょ」 それはその通りかもしれないが。 どうもリョーマ、桃城に絡まれたせいでご機嫌がナナメらしい。 しかし気を取り直したように、彼は一瞬ニヤッと笑った。 「最後の言葉、はともかく、それを誰に言うか、は決まってるんだけどね」 猫のような眼を笑みの形に細めるリョーマを、手塚は斜めの視線で見下ろした。 「そうか」 その一言に、リョーマ、思わずム。 「誰だか、訊きたくない?」 「誰なんだ?」 「……アンタって、ホントーにやなヤツ」 光栄だ、などとしゃあしゃあと言い放つ手塚は、注意してよく見れば微かに表情を崩していて。手塚のこんな場面が稀であるのを知っているから、リョーマはそこにはそれ以上突っ込まない。そして『その言葉』を誰に言うのかなんてのもわかりきっている事だから、答え合わせなんてしてやらない。 「部長がオレの最後の言葉ってのを聞きたいなら、もちろんずっとソコにいなきゃダメなんだけどね」 そこ、というか、早い話がリョーマの傍に。 「最期のお前の枕元に、か?」 「そゆこと」 「俺はお前より先には死ねないわけか」 「ソーデス」 そこに枕があるとは限らないけどね、などとわけのわからない事を言って笑うリョーマの横で、手塚はフウ、とため息をついた。 「それは残念だ。俺の最後の言葉もお前を相手にと予定しているんだが、どうやら興味はないようだな」 「……は?」 「俺の最期の瞬間にお前がもういないのでは、言いようもないしな」 ニヤ。 珍しく、手塚はハッキリとその表情を笑みへと変えた。 ……ちょっと。 「その理屈でいったら、オレたち永遠に死ねないじゃないっスか……」 お互いに最後の言葉を聞きたがっていては、二人ともいつまでも死ぬ事が出来ない。いちにのさん、で一緒に死ぬ訳にもいくまい。 「そうかもな」 またも、いけしゃあしゃあ。 ……この人って。 「バカバカしい。やめやめ」 リョーマはあーあと呟いてそっぽを向いた。こんな問答をしているようでは、ロマンティック大暴走の桃城を笑う事なんて出来やしない。 「そうだな。終わりを考えるのはまだ早い」 人間いつ何が起こるかわからないという理屈もあるかもしれないが、そんな事に思いを馳せながら日々を過ごすほど、彼らは暇ではない。今隣にいる人間をどう構い倒していくかを考える方がよっぽど優先事項だし、建設的だろう。 そう、もう決めているのだし。 共に同じ速度で歩く人。 いつからこうなったのかなんて、振り返る趣味もないけれど。 最期の瞬間、なんてものをうっかり語り合ってしまったりもするけれど。 まあつまりが、終わりまで付き合う気があるって事で。 そんな未来を当たり前のように思っている自分たちは、桃城を笑うどころか、もっとロマンティストで質が悪いのかもしれない。 リョーマはまるで悪戯っ子がそうするように、手塚の袖口をチョイとつまむ。そして手塚は、誰の視線も向いていないのを良い事に、その指先を、そっと握った。 うん。 最後は、彼でいい。 決まっている事が、ある。 最後に何を言うのかなんて、考えてはいないけれど。 最後の言葉を『誰に』向けて言うのかは。 もう、決めているんです。 END |
●あとがき● 今回桃ちゃんが読んでいた小説は、わかる人にはわかってしまうお話ですね(笑)。それにしても本当に「こんな場面になったらこんな事を言おう」なんて考えは、いざその時になれば消し飛んでしまうものですねー。桃はどんな言葉を考えているのかな? |